総合芸術としての映画

目次

1.映画が内在するエネルギー

・ウツっぽい時は、映画を観るエネルギーがなかった。
・数年が経ち、、、、。
・こんな順で情報を受け止められるようになった。
・映画は総合芸術だ!

 

 

1.映画が内包するエネルギー

 

ウツっぽい時は、映画を観るエネルギーがなかった。

 

映画を観るにはエネルギーが必要だと気づいた。
2003年のことだ。

激務で心が悲鳴を上げ、しばらく職場を休んだことがある。
今こそが気晴らしのチャンスだと思い、映画館へ行った。
気持ちをスカッとさせたくて、選んだ映画は『X-MEN2』。

ミュータントがホワイトハウスの警備員をなぎ倒し大統領を追い詰めるところから始まる。
画面はミュータントが左右上下に急速移動。
音響はすさまじい。

迫力満点の出だし。
といいたいところだが、私は画面を追うのが精一杯で、胸パクパクだ。
「胸パクパク」は私の造語かもしれない。
息切れと動悸で空気が吸えない感覚だ。

15分ほどで映画館を出て自宅にすぐに駆け込み布団にもぐりこんだ。

数年後にレンタルDVDを観た。
面白い!
迫力ある出だしを大きなスクリーンと音響装置の中で観たいと思った。

映画だけじゃなく、本さえも読めない。

 

 

出だしに戻る。
「映画を観るにはエネルギーが必要だと気づいた。」である。
実は、「気づいた」と冷静に思えたのは後日のことであり、
当日は「大好きだった映画が観られなかった」という事実に圧倒されてしまったのだった。

そして、困ったことに一番の趣味だった読書さえできなくなった自分に気づいた。
さらに、テレビの画面も音も煩わしくてしょうがない。
結局、外から自分に入ってくる刺激そのものが耐えられないのである。

 

数年が経ち、、、、。

 

あれから何年も経った。
心は波はあるものの、ひどい時に比べればずいぶんと落ち着いている。

映画も観られる。
本も読める。
テレビも観られる。
色んな情報を受け止めるエネルギーが戻ってきたとも言えよう。
結構なことである。

お元気な皆さんには、興味がないことかもしれないが、
どんな順序で各種情報を受け止められるようになったかを思い出して書いてみようと思う。
「受け止められる」とは、情報に接することができ、意味が理解できるというくらいの意味だ。

 

こんな順で情報を受け止められるようになった。

 

はっきりとは覚えていないので、記憶違いもあるだろうが、
どうも次の順で私は平気になってきたようである。

1.新聞
2.テレビ:スポーツ番組
3.テレビ:ニュース番組
4.本:ドキュメント
5.本:マンガ
6.本:随筆
7.本:小説
8.映画:DVD
9.映画:映画館

 

結果として、私は新聞から読めるようになり、最後まで観られなかったのは映画だった。

(今でも苦手なものがある。家電などのマニュアル書、テレビのバラエティー番組だ。)

 

映画は総合芸術だ!

 

映画は総合芸術だと言われる。
映画には情報が詰まりすぎているのだ。
映像、音楽をはじめとする音響、カメラワーク、光、台詞、役者、演技、、、。

私は、心が疲れた時期に映画を観られなくなったおかげで、映画が総合芸術だと確信した。

 

一本の映画を観ることが出来ることに感謝したい。